楽市楽座
楽市楽座(商売の歴史03)
戦国時代は、商人にとって
最も過酷な時代でした。
今日の主君が明日には敗れ、
城下町が一夜にして焼け野原になり、
商品を運んでいた街道も戦によって遮断されるたからです。
しかし、この激動の時代でも
日本の商人は消えませんでした。
戦国時代の商人は
「楽市楽座」という政策で変革しました。
1549年に近江の六角氏が最初に発令し、
後に織田信長が積極的に推し進めたこの政策は、
従来の「座」の独占権を廃止し、
誰でも自由に商売できる市を開くものでした。
「楽」とは自由という意味です。
「楽市楽座」の登場は
これまで座の既得権益に守られてきた商人たちにとって
大変な脅威でした。
しかし同時に新しい才覚を持つ商人には、
大きなチャンスでもありました。
さてさて…
しかし、信長はどうして楽市楽座を推進したのでしょうか?
表向きは城下町の経済活性化でしたが、
本質は「商人の力を直接支配すること」でした。
さすが信長。策士ですねぇ。
座の背後には、必ず寺社や貴族がおり、
糸を引いてました。
なので彼らの権威を排除し、
商人を権力に直結させようとしたのです。
何故なら信長は商人の経済力を、
「戦の資金」として必要としていました。
その典型が堺の商人たちです。
当時、南蛮貿易で莫大な富を持った堺の商人たちは、
どの戦国大名とも一定の距離を保ちながら、
自治都市として独自の判断で動いていました。
「今井宗久」(いまい そうきゅう)
「津田宗及」(つだ そうぎゅう)
「千利休」(せんのりきゅう)
彼らは商人であり茶人でした。
多くの権力者の信頼を得ながらも、
自らの美意識と商売の軸を
決して手放しませんでした。
そして千利休の存在は、
この時代の商人の精神性を
最も鮮やかに体現しています。
利休七則というお茶の心得は
そのまま商売における
「おもてなし」の美学やあり方を説いています。
信長、そして秀吉という
絶対的権力者の茶頭として仕えながら、
利休は「侘び」という美意識を
一切曲げませんでした。
豪華絢爛を好む権力者の前で、
あえて質素で不完全な茶器を選ぶのは、
単なる感性の話ではありません。
これこそ「権力に媚びない」という、
商人・職人としての矜持の表現でした。
朝顔の話は有名ですよね。
利休は最後、秀吉との対立により
切腹を命じられます。
しかし、死して美学を守ったからこそ…
権力に屈することなく、
自らの軸を守り通した利休の生き様は、
後世の商人たちの
精神的模範となったのでした。
さて前回お話しした街道と参道の話です。
戦国時代になると、街道は戦略的要衝でした。
しかし、戦が続く中でも、
商人たちは道を歩き続けました。
たくましいですよね。
「矢銭(やせん)」と呼ばれる通行税を払い、
時に命がけで物資を運んだのです。
なぜそこまでして動いたのでしょうか?
儲かるから?
いやいや。
もうその頃は、各地にお得意様、
固定客がいたのですよ。
その地に住む人々の暮らしに必要なものが、
届かなくなるからです。
届けられないと困るのです。
戦で米が焼かれた村に、
商人が米を運ぶのです。
戦で鉄が不足した城に、
商人が鍛冶道具を運ぶのです。
商人が「物を届ける」という行為は、
この時代、命を繋ぐ事でもあったのです。
そして、神様仏様の前で行っている参道商業も
戦国時代になると独自の発展を遂げます。
戦乱の世になると、
人々は神仏にすがりました。
伊勢神宮への参拝者は増え、
街道沿いの「御師(おんし/おし)」と呼ばれる案内人が、
全国を回って参拝者を集め、
宿の手配から土産の手配まで行いました。
今で言う旅行代理業と観光業を兼ねた感じですかね。
先行き不安な時代ほど、
神に向かう人が増え、
その道に商売が育つ。
人間の本質と商売の本質が、
ここでも交差するのです。
戦国時代、環境がどれほど激変しても、
「自分軸」を持つ商売人は生き残りました。
権力に媚びず、時流に流されず、
「必要なものを、必要な人に届ける」という
商売の本質を手放さなかった者だけが、
次の時代に繋がっていきました。
宮本武蔵は『五輪書』にこう記しました。
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」
戦国の商人たちは、
戦乱という極限の環境の中で
商売で心身を鍛えました。
「錬(れん)」です。
その錬が、
次の江戸時代に花開く
日本の商人文化の土台になるのです。
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望月まもる(集客支援コンサルタント)地域の商いを見続けて40年。整体・接骨院の勉強会で約10数年講師を務めております。商工会や行政、工務店・リフォーム会社、各種サロンなどの業界団体でも、セミナーや講義・勉強会・研修を行っております。クライアントは、接骨院・整体院・各種サロン業・物販・通販会社・製造業・学習塾・音楽教室・リフォーム会社・工務店・ポスティング会社など多岐にわたります。著書:「儲けるポスティング損するポスティング」「『集める』から『集まる』店へ」