便利さと専門性
明治も後半になると、
日本の商売の風景が大きく変わり始めます。
個人の商売人が知恵と誠実さで
競い合っていた時代から、
「巨大資本が市場を支配する」時代への移行です。
三井、三菱、住友、安田という財閥の誕生です。
これらの財閥は、
明治政府の「殖産興業」政策のもと、
急速に力をつけていきました。
政府の後ろ盾を得て、
鉱山、紡績、銀行、貿易など
あらゆる産業を傘下に収めていったのです。
江戸時代の商人は、
どれほど財力があっても「身分は最下層」でしたが、
明治の財閥は違いました。
政治と結びつき、
華族の地位を得た財閥もありました。
「お金で身分を買える時代」が
本格的にスタートしたのです。
そして、これは商売人にとって、
精神の堕落が始まった時期とも言えます。
鈴木正三、石田梅岩が唱えて来た商道の教え、
そして「お金のために生きるのは卑しい」という
古来からの感覚すら薄れていきました。
商売で成功することが、
社会的な地位につながる時代になったからです。
個人の誠実さや技が
資本の力の前に霞んでいく時代です。
百貨店もこの時代に大発展します。
1904年の三越宣言から始まり、
大正時代には松坂屋、高島屋、大丸など
次々と百貨店が生まれ、
都市の商売の中心になっていきました。
百貨店は当時の人々にとって
単なる買い物の場ではありませんでした。
美術展が開かれたり、音楽会が催されたり、
屋上に遊園地が設けられ、子どもを遊ばせたり、
家族で楽しめる文化機関としての
百貨店になって行ったのです。
しかし、その華やかさの陰では
百貨店の繁栄と引き換えに、
専門店の職人商売が圧迫されていきました。
それまでの商売は
呉服なら呉服屋、小間物なら小間物屋、
菓子なら菓子屋と、
専門に特化した一対一の関係が基本でした。
百貨店はこれらを
一つ屋根の下に集めることで、
専門店からお客様を奪っていきました。
「便利さ」が「専門性」を
飲み込み始めた最初の大波でした。
大正時代に入ると、
もう一つの大きな変化が起きます。
「サラリーマン」の誕生です。
企業が大きくなるにつれ、
「雇われて働く人」が増えていきました。
江戸時代の「丁稚奉公」から
「サラリーマン」への変化は、
それまでの「働く意味」を根本から変えました。
丁稚奉公は親方の技と精神を
「盗む」「インストールする」
「自立する」ことが目的でした。
しかしサラリーマンは会社の歯車として
「お金のために決められた仕事をこなす事」
が求められました。
「職業即仏行」の精神は、
ここでさらに遠いものになっていきます。
一方この時代には「大正デモクラシー」という
自由な空気感も生まれました。
普通選挙運動や労働運動、
女性解放運動など
庶民が自らの権利を主張し始めたのです。
そして、この空気は、
商売にも影響を与えました。
「お客様は神様」という言葉が
まだない時代でしたが、
庶民の発言力が増すにつれ、
「買い手の声」が商売に反映されるように
なっていきました。
また関東大震災(1923年)では
東京・横浜の商業地区が壊滅し
商売の歴史に大きな影を落とします。
しかし、この災害の後にも、
商売人たちは素早く立ち上がりました。
焼け野原に屋台が出たり、
バラックにすぐに店が開いたりしたのです。
「売れるものがあればすぐ商売」という
この逞しい生命力は、
江戸の棒手振りから続く
日本の庶民商売の底力でもありました。
大きな資本が市場を動かし始め、
便利さが専門性を飲み込み、
働く意味が「修行」から「仕事」に変わっていく一方で
庶民の商売の生命力は、
どんな災害にも消えなかったのです。
現代の経済学や倫理学でも説かれていますが
「巨大になることと正しくあることは、
必ずしも一致しない」ものです。
つづく
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望月まもる(集客支援コンサルタント)地域の商いを見続けて40年。整体・接骨院の勉強会で約10数年講師を務めております。商工会や行政、工務店・リフォーム会社、各種サロンなどの業界団体でも、セミナーや講義・勉強会・研修を行っております。クライアントは、接骨院・整体院・各種サロン業・物販・通販会社・製造業・学習塾・音楽教室・リフォーム会社・工務店・ポスティング会社など多岐にわたります。著書:「儲けるポスティング損するポスティング」「『集める』から『集まる』店へ」